note:Home calling, ‘kiyakiya!’
2013
以下のテキストは、Home calling, ‘kiyakiya!’の
展示期間中に行ったイベントのなかで朗読したものです。
それは今より少し昔、まだ2000年をむかえる前の日本のどこかに暮らすある家族の物語。
3月の二週目の祝日、お帰りの日。
土曜日だった。まだ少し寒い、春が来る直前の空気がぬるんだ日だった。
すーか すーかと寝息が響く、車の中は暖気と赤ん坊の匂い。
「僕が起きたことに誰も気付いてない。
2時だ、まだ真っ暗だ。なんで目が覚めちゃったんだろう。」
少年は西に向かう車の中にいる。
家族みんなで目指すのはおじいちゃんとおばあちゃんが2人で暮らす、少年の母さんが生まれたところ。
夜中の高速道路、窓の外を流れていくのは鈍い色に輝くトラックやバス。
ちょうど目の高さとおんなじところを、大きなタイヤがものすごい速さで回転しては
少年たちが乗っている車をゆっくりゆっくり追い越していく。
等間隔に並ぶオレンジの外灯が途切れて、道路はぼんやりと暗くなる、
黒々とした田んぼや畑が高速道路の周りを取り囲む。
田んぼのあいだを一本道が走り、外灯の白々とした点が遠くに浮き上がっている。
「お父さん、僕が起きてるのに気付いてないな。
お母さんもお姉ちゃんも寝てるし、なんかいま僕一人ぼっちみたいだ。」
「窓、冷たいな。外、何にも見えないな。お父さん、なんか怖いな。」
少年はそのとき、窓の外でなにかが光っているのに気付く。
瑠璃色、琥珀、エメラルド、めくるめく色に輝く光のかたまりは、
風になびくカーテンのようにひらめき、少年たちと同じ方向に向かい走っている。
「あれなんだっけ?知ってる気がする、オーロラ?でも違う。足がある!裸足で走ってる!」
ドキンドキンと大きな音をたてて心臓が鳴っている。
今まで見たこともないような不思議な光を放つそれは、彼の心を大きく揺さぶった。
初めて見るのになぜか懐かしい気がする、とても美しいのになんだか恐ろしい。
もしも見ているのに気付かれたらどうなってしまうんだろう。
少年はいてもたってもいられず隣で眠る母を起こそうとする。
しかし、どれだけ揺すっても声をかけても、母は夢の中から帰ってこない。
「お父さん!あれ見て!ねえお父さん!」
父は少年に気付くことなく、前を向いたまま、運転を続ける。少年の声は車の中の誰にも届いていない。
少年は諦めてもう一度窓の外をみると、そこにはもう何もいない。
オレンジ色の外灯にそまった夜の高速道路の景色が広がっている。
さっき見たものは一体なんだったのだろうと少年は思い出そうとする。
見てはいけない恐ろしいもののようでもあったし、
ずっと前から見てみたかった懐かしいもののようでもあった。
考えていると胸が痛み、喉が熱くつまってくる。
すると突然、猛烈な眠気に襲われて目を開けていられなくなった。
翌朝、母親が目を覚ます。もう間もなく到着する。
少年はまだ眠っていて、起こそうとしてもなかなか目を覚まさない。
体を揺すり声をかける、頬を叩いても、くすぐってもまぶたを開けない。
脈も呼吸も体温も、特におかしなところはないけれど少年は起きない。
まるで空き家のドアベルを鳴らし続けているように、何の反応も返ってこない。
少年はただ昏々と眠り続けている。
少年が昨晩見たのは西の土地に向かう年の若い神様だった。
その姿をみてしまった少年は、報いを受けて深い深い眠りに落ちて夢をみる。
あらゆる人の夢は、大きい大きいシチュー鍋のような空間にごったになって集まっていた。
気がつくと少年はそこにいた。
大人の夢も子供の夢も、その日あった幸せな出来事も、とりとめもない出来事もいっしょくたになっている。
誰の物とも分からないひとりひとりの夢が少年の目に映っては、どこかへ過ぎていく。
少年はそれぞれに耳を澄ましてみる。
すると、彼の家族がみている夢を見つける。
【母の夢】
今日もまた娘は家を飛び出していった。
夏の晴れた日の夕方は、毎日毎日おんなじ時間に散歩に出る。
戻るのは必ず日が落ちた後。
我が家の周りは田んぼと畑ばかり、その間をぬうように農作業用の小径が走る。
そのなかに東から西へまっすぐのびる1本の道があって
娘はいつもその道を歩いて村のはずれまで行き、
太陽が落ちるのと月が昇るのを見届けるのだそうだ。
彼女は時々、「スライドが出る」と言う。
一瞬目の前の景色が揺らいで、見渡す限りの平野と、夕空は消滅していき
どこか知らない夜の砂漠の風景が現れるそうだ。
いかにも澄んでいそうな空中には、星が明るく輝いている。
どこまでも続く砂原の上には巨大な透明のガラス玉のようなものがいくつも浮かび、
星の光を反射してときどき虹色に煌めく。
彼女はそのガラス玉のようなものに触りたくて
手を伸ばし、近づこうとするとだんだん目の前がぼやけていき
またもとの夕焼け空が現れてくるのだそうだ。
太陽は1秒でも目を離すと地面に吸い込まれるように形を変えてしまう。
東の山からは月が昇ってきて、その周りに猛スピードで群青色が広がっていく。
すこしでも目を離すと瞬時に景色は変わってしまう。
空と地面の境界が黄金色になって光の板が隙間なく西の空を覆った。
まるで遠くから眺めたときの海面のようだ。
それを見届けたら、娘は家に戻って夕飯を食べる。
【長女の夢】
あと5分もすると今年の3月が終わる。
今日はすぐ下の弟の誕生日だった。
今日も目を覚まさない。
この前授業の時に聞いて、忘れられずにいる話がある、
毎日飲む水の中には、何百年、何千年分もの生まれ死んでいったいろんな生き物がぎゅっと詰まってて
雨や川や海なんかを通じて地球上を巡り巡っているんだって。
その話を聞いて以来
麦茶を作るときのピッチャーの中とか、大雨の日に川の近くを歩く時に
もう死んでしまって土のなかに分解していってる最中の
いろんな人の事をなんだか思い返してしまう。
これはひとつの再会かも知れないなあと。
飲み干して栄養にして、何かの形でまた産まないとと思う。
グラスに水を入れて飲んでいると
一番下の弟が「僕も飲みたい」とやってくる。
【次男の夢】
鏡のようにつるりとした真っ平らな氷の上を
ある方向から海ガメが、また別の方向から刃物が歩いてやってくる。
2人は、偶然ばったり出会う。
ふたりとも長い間誰とも話さずにいたせいで、心の中がヒリヒリしていた。
三日三晩話し続けたら、おたがいの頭の中をすっぽり交換したように
それぞれが見てきた景色が胸の中に広がっていた。
ふたりは、あたたかく満ち足りていくのを感じた。
彼らの分かち合う景色はいつだって足下に氷が広がっていた。
刃物は思う、海ガメと一緒にまだ知らないところへ行ってみたいと。
海ガメは思う、刃物とならどんな場所へも旅をし続けることができそうだと。
二人の間には親密なムードがたちこめる。
海ガメはそのとき、背中の肩甲骨がムズムズしていることに妙な不安を覚える。
みるみるうちに、甲羅の両脇からジェット機のような羽根が生えた。
興奮するとどうやら離陸してしまうらしい。
刃物は少し恥ずかしく思ったが、その甲羅に乗って
このまま南の方へ行きましょうねと耳元でささやいた。
【父の夢】
鏡と鏡の間から男か女か分からないやつが出てきた。
体の大きさはちょうど5歳のこどもくらい。
世界をちょっとだけ狂わすための秘密を教えてやると言う。
今から口にすることを、
書き記すことなく、決して忘れないでいることがルールだと。
・二つの細胞が混ざり合って火を噴く日に、体中にマジックで地図をかきなさい。
・となりで眠るひとの曲がった寝相から水ではない液体が出てきたら
それは毎日、私たちを通過していく粒粒になったのかつての人たち。
小さな鍋に集めなさい。
・家の高い所から、ガールフレンドの両手に向かってその液体をこぼしなさい。
・彼女の体の中にひっそりと住む鳥が、思わず鳴き出したら
もうすぐ夜が明ける。
・黒い紙に小さな穴が開いて、向こうの光が目玉の表面まで届く。
その穴に何を入れよう。
何を選んでもいい。残したいと思う残せないものは何でも入れなさい。
もうすぐ幕は上がるけど、明るすぎてそこに何があったのかあなたはきっと思い出せない。
知らない誰かの出来事が交わり続けるあの場所で
祝福されながらあの子はもう一度目を覚ます。
おめでとう12年目の誰か。
あの日の晩から7年経って、
少年は12歳の誕生日の朝、何事もなかったように突然目を覚ます。
頭の中の記憶をそっくり失って。