赤い爪だった

2013.3.2

櫻井龍太くんの個展を見に神戸に行く。
京都駅からJRの新快速に乗ろうと、ホームで列に加わる。電車が来る。
すぐ前に並んでるでかい荷物を持ったおばちゃん2人組がノロノロと
「○○さんそこ座りーな!」「いやあたしこっち座るさかい、ええねんええねん」とシートの勧め合い譲り合い。
そのやり取りのすぐ後ろにいる私は、おばちゃんらの視界の中では透明かただの壁なんだろうなーと思いつつ
座るのを諦めて、も少し空いてる通路へ移動する。
大阪まで行ったら乗り換える人も多いし座れるだろうと、時間が流れていくのを待つ。

ほんとうに時々、体調とか荷物の重さとか色々なアレがうまく噛み合わない時に
同じポーズで立ち尽くしてると脳貧血という非常にやっかいなアレが起こる時があって、
ああー、なるぞなるぞ…っていうのが自分でも分かるんだけど
これが、いちばん厄介なのは電車の中で起きてしまうときで。
喉の辺りが息苦しくて、吐き気がしてきて、手の先がサーッと冷たくなってきて
倒れる一歩手前まで来ると、もう目の前が曇ってちかちかする。

この日は、吐き気をもよおすくらいの段階まできて、これは…と思ったんだけども
停車駅はまだ遠いし、空いてる席はないし、こうなったらもう
しゃがむか優しそうな誰かを探すかの2択しかないわけで。
でも、どっちも奇人っぽいしな、こういう時に妊婦さんキーホルダーみたいな
脳貧血の人用のキーホルダーがあればどれだけ救われるか、と思いつつ
病人面しながら優先席へ向かっても、そこに空席はないのな。
新聞を広げて読んでるあのおっちゃんは、優先される要素がどこにあんのかなーと、
せめて何か少しでもしんどい顔くらいしててくれよと心にもない願いを込めて見つめつつ
いざという時のために一番ドアに近い所に避難。
停車駅まで降りられない電車っていう密室は、ほんとうに恐ろしいよ。
わたしがいつか誰彼かまわずに、席譲って下さいと言えるようになるまでは
脳貧血をいかにエンジョイするか、なにかしらの打開策を見つけないとな。

新大阪でやっと座れて、元町から歩いて819へ向かう。
中華街だー とか、港町だー とか
心の中だけではしゃいで、寒風の中うろうろ道に迷い始める。
この日は寒かったんだよほんとに。なのにまた短パンで出かけてしまった。
やっとギャラリーについて、写真を見る、でかいブックもあってそれも見させてもらう。
空中に浮かべてる写真が、エアコンの風でくるくるくるくる回ってて、
写ってる女の子のポーズとか体とか顔とかが、なんかおかしな状況を作り出してて独特のグルーブ感が。

色々と話を聞けたんだけど、写真見てて声出して笑っちゃう感じがあるのってすごいよなと思う。
写真を見ていいなあと思うポイントが、他の人に感じるのとちょっと違うのは
いまの櫻井さんとまとめた写真との間に距離があまりないからなのかなあと
なんか、うらやましく思う。

京都に戻って、ANTEROOMの小宮君の展示も見に行く。
残像になった植物を見て、アクリルの中に写り込んだホテルのなかのどこでもない場所を見て、
高速で回転する果物を見た。
目で認識できないせいで、本来の形じゃないものを見てる状況って
頭と目がお互いに逆方向に働こうとする、経験した事のあるものの未知の姿を見たような、面白かった。
見終わって、北大路の劇研まで移動する。
まなほちゃんに教えてもらった、クリタマキさんという人のダンス。
太宰治の「キリギリス」と、梶井基次郎の「檸檬」を読んでその解釈をダンスにしたもの。
パントマイムのような、そこにないものを空白として扱う動きの後に
その空白に収まっていたはずの檸檬を実際に手にとって投げて食べて、体を動かしていて
あれはなんか血管の中を通過する赤血球とかぐらいのレベルの小さいものになって、
青年の体の中を流れてる興奮の材料とかを見ているような気がしたな。
檸檬 読んでみよう。